今回は、「学校では優秀だった人がなぜか社会で通用しない理由」についてです。
結論としては
・学校の優秀さと、社会における優秀さは違う
・学校では長所よりも、短所がないことが評価される
・学校教育は同質化をして、個性を潰している
です。
企業の一員として働くような場合は、学校時代の優秀さや学歴などと、仕事がこなせることは相関することも多いです。
しかし自分でビジネスを立ち上げて起業をするなどの場合は、あまり相関しないことの方が多いかもしれません。
学生時代の優秀さが、社会での優秀さと同じというわけではないのです。
その理由としては、学校で求められる能力と社会で求められる能力が、必ずしも同じではないためです。
学校教育では、現代社会で求められる能力を鍛えているわけではありません。
学校教育の弊害の一つでもあります。
それでは、学校で求められる能力と社会で求められる能力の違いなどについて、説明していきます。
学校での優秀さとは

学校教育においては、「突出した分野がある」ということよりも「欠点がない」ということを評価されて優秀とされる傾向があります。
例えば
・全ての教科で80点取れる
・1教科だけ100点で、他は30点程度しかとれない
という二人の生徒がいたら、そつなく全ての教科で80点を取れる生徒が、学校教育においては優秀な生徒です。
いわゆる「優等生」ですね。
それに対して、1教科は100点で他は30点しか取れない生徒は、言ってみれば「問題児」にすらされてしまいます。
そして、このような生徒は30点しか取れない教科を引き上げるように指導されます。
長所を伸ばすのではなく、短所を無くそうとするのが学校教育です。
これは、受験による弊害の一つでもあります。
受験などの試験の評価は、基本的には合計点です。
そのため、受験は「突出した長所があれば勝てる戦い」ではなく、「短所があると負ける戦い」になってしまっているのです。
まさに、同質化するためのシステムです。
要するに、学校における優秀さとは
長所があることではなく、短所がないこと
なわけです。
しかも、それが学校で行われる勉強の分野に限ってのことなのです。
非常に偏った評価方法だと言えます。
80点取るのは簡単

では、実際のところ
・全ての教科で80点取れる
・1教科だけ100点で、他は30点程度しかとれない
どっちの方が、すごいことなのでしょうか。
基本的には、「0点→80点」よりも、「80点→100点」の方がはるかに難しいです。
(もちろん、ケースバイケースではありますが。)
最初の80点を伸ばすには、20%の努力。
残りの20点を伸ばすには、80%の努力。
というのは、よく言われることです。
要するに、そこそこがたくさんあることなんかよりも、突出した一つがあることの方が、よっぽど難しいとも言えるわけです。
全ての教科で80点取れるというのは、学校の勉強に関しては「要領が良い」ということに過ぎない可能性は十分にあります。
100点は上限ではない

受験勉強などにおいては、100点取れる教科をさらに勉強するよりも、30点しか取れない教科を勉強するほうが効率的なのは間違いありません。
しかし、そこには「100点が上限」という固定観念があることも忘れてはいけません。
学校のテストという超狭い枠組みの中での、勝手に決めた上限でしかありません。
当たり前なのですが、学ぶことや能力に上限など存在しません。
テストで100点の成績をとるということは、「100点以上」の能力を持っているということです。
つまり、テストで100点を取ったとしても、その先にはいくらでも伸びしろが存在します。
世界最高の能力を持っている人でさえ、さらに上を目指すことだってできます。
しかし、学校教育の枠組みでは
・100点をとれる能力
・150点(テストには存在しませんが)をとれる能力
どちらも結果は、100点です。
この枠組みの中では、100点取れればそれ以上学ぶメリットがないように思えてしまっても、不思議ではありません。
つまり、100点という枠組みを作ることによって、成長を抑えつけてしまってすらいるのです。
その結果、突出した能力を育むことを阻害し、誰もが画一的な能力になってしまうわけです。
社会で重要な能力

学校においては、「突出した長所があること」よりも「短所がないこと」が評価されますが、社会においては必ずしもそうではありません。
むしろ現代において、多くの場合は「突出した長所があること」の方が有利に働きます。
一昔前までの産業化社会であれば、短所がなく何でもそつなくこなす人が大量にいることが重要でした。
しかし時代は変わり、現代においては「同質化した労働力」はAIに勝てなくなるでしょう。
つまり、必要なくなっていくのです。
その代わり、自分固有の価値を持つ人たちが、重宝される時代になっていきます。
「突出した長所があること」が、重宝されるということですね。

要するに、学校においての「優秀さ」は、今や今後の社会にマッチしていないのです。
これこそが、学校で優秀でも社会で通用しない理由です。
社会で必要とされる能力を消しながら、いらない能力を育成しているわけですから、当たり前と言えば当たり前ですよね。
まとめ

・学校での優秀さは、社会での優秀さとは違う
・学校は長所があることより、短所がないことが、評価される
・学校の教育によって、可能性を消して同質化を行っている
社会において価値があることだけでなく、自分が好きで得意なことを続けることは、その人の人生を豊かにもしてくれます。
苦手で嫌いなことばかり続けるのは、楽しくないですよね・・・・
学校のつまらない固定観念なんか気にしない方が良いです。
特に若いうちは、得意を伸ばすことに専念した方が、将来のためにもなると思います。
何を学ぶかは、自分の自由です。
そして、学ぶことの大原則は、「楽しむこと」です。
楽しみながら、学んでください。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。