社会

【ルールとは?】プロ棋士がマスク外して反則負け

【ルールとは?】プロ棋士がマスク外して反則負け

今回は、「ルールの本質とは何か?」ということについてです。

 

結論としては

・ルールは目的を達成するための手段

・「目的は適切か」「手段は適切か」を常に考えなくてはならない

・ルールを守ることが目的化している思考停止が多い

です。

 

将棋のプロ棋士である佐藤天彦九段が、10月28日の対局で約30分間のマスク未着用を2度行ったことで反則負けになりました。

これは、今年2月から施行されている「一時的な場合以外は、対局中はマスクをしなくてはならない」という臨時対局規定に違反したためです。

 

要するに

マスクをしなくてはならないというルールを破ったから反則負け

ということです。

 

この件については、疑問を呈する声もSNSなどでは多く上がっています。

それに対して、「ルールなのだから仕方がない」という声もあります。

確かにルールに違反したのであれば、仕方のない部分もあるのかもしれません。

 

しかし、そもそも「ルール」は何のために存在しているのでしょうか。

本当にルールだから仕方ない、で終わらせて良いのでしょうか。

ルールは絶対なのでしょうか。

そのようなことについて、考えてみたいと思います。

 

それでは、ルールとは何かについて、説明していきます。

 

ルールは手段

ルールとは、規則・規制・慣例・しきたり・約束などを意味する言葉であり、私たちはルールに囲まれて社会生活を送っています。

社会におけるルールの代表的なものが、法律などです。

法律や就業規則などのように形としてしっかり規定されているルールもあれば、何となくの空気感的なルールも存在します。

ルールと言っても、多種多様です。

 

しかし、どのようなルールであっても本質的に言えば、ルールが存在する理由は

何かしらの目的を達成するため

です。

 

例えば道路交通法というルールは、交通事故などを無くし(減らし)、事故による犠牲者を出さないようにすることが目的です。

法律に殺人罪があるのは、根本的には殺人が起こらなくなるために存在します。

 

つまり

ルールは、何かの目的を目的を達成するための手段

ということです。

ルールは手段なのです。

このことは、どのようなルールにおいても、必要条件と言えます。

 

目的と手段は適切かを考える

そこでルールについて考えなくてはならないのが

・目的は適切なのか

・目的が適切な場合、そのルールは手段として適切か

ということです。

 

まずルールが目的を達成するための手段である以上、その目的が本当に達成するべき適切なものなのかということは、しっかり考える必要があります。

さらに言えば、ルールの目的が明確なのかも検証するべきです。

 

例えば、世界的に進めている脱炭素に対する規制などは、そもそも本当にCO2を減らすべきなのか、非常に疑問が残ります。

CO2を減らすメリットとデメリットをしっかり比べて、仮にデメリットの方が大きいのであれば、脱炭素への規制はルールとして存在価値を持ちません。

目的の科学的根拠も明確でなく議論も不十分なのに、手段であるルールだけが先走っているのです。

 

次に、目的が適切であった場合でも、その目的を達成するために手段が適切かどうかも考えなくてはなりません。

目的を達成できないルールなど、何の意味もありません。

 

今回の佐藤九段の反則負けは、まさにこの「目的を達成出来ないルール」です。

(※風邪レベルの感染症を予防するという目的が適切か、という問題もありますが、風邪でもかからない方が良いというのも一理あるので、ここでは置いておきます。)

将棋連盟の臨時対局規定の「一時的な場合以外は、対局中はマスクをしなくてはならない」というルールの目的は、感染予防です。

 

まず考えなくてはならないのが、「マスクに感染予防効果があるのか」ということです。

当然マスクに感染予防効果はありません。

この時点でこのルールは破綻していますが、世の中はマスクに感染予防効果があると思っている人が多いので、一旦マスクに感染予防効果があるとします。

マスクに感染予防効果があるとして、棋士の対局中にマスクを着けることで感染リスクが減らせるかということですが、当たり前のように無意味です。

対局中は喋りませんからね。

当たり前のことです。

 

つまり、「対局中にマスクを着用しなくてはならない」というのは、感染予防という目的を達成するのに何の役にも立たないゴミのようなルールなわけです。

 

手段の目的化

では、どうしてそのようなゴミのようなルールが存在するかと言えば

手段を目的化してしまっているから

でしょう。

 

もはや、多くの人はマスクをすること自体が目的になってしまい、マスクをしていれば文句も言われないし安心なわけです。

目的が本来のものから変わってしまっているとも考えられますね。

つまり、日本中で浸透しているマスクというものを着けることが、「やるべきこと」になっているわけです。

「何故マスクを着けるのか」という理由や、「マスクを着けることの何を目指すか」という目的など考えてすらいないのです。

 

思考停止ですね。

 

そしてそのような思考は、別の目的を達成したい権力者に利用されているのかもしれません。

 

まとめ

まとめ

・ルールは目的を達成するための手段

・「目的は適切か」「手段は適切か」を常に考えなくてはならない

・ルールを守ることが目的化している思考停止が多い

「ルールはルール」という人がいますが、意味が分かりません。

確かに、社会秩序を保つためにルールは必要ですし、ルールを破る人ばかりでは社会は混乱するでしょう。

しかし、ルールというのは言わば自由を奪うものでもあります。

もちろん大切なルールはありますし、そのようなルールは守る必要があります。

 

しかし同時に

「そのルールは必要か」

「そのルールは間違っていないか」

などのことは常に考えなくてはなりません。

 

手段というのは、目的が正当化されてこそ、はじめて意味のあるものになり得ます。

そして、目的を達成するためにベストな他の手段もあるかもしれないことを常に意識するべきだと思います。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。