今回は、「有能な人ほど評価されない」という不条理についてです。
結論としては
・有能なのに評価されないことがある
・評価する側が、価値を理解できないことによって起こる
・仕事ができない人の思考と同じ
・有能な人のベストな対策は、そのような環境から離脱すること
です。
仕事において、有能・優秀な人がそうでない人よりも高く評価されるのは、当たり前のことです。
子どもの教育などにおいては成果を評価するべきではありませんが、少なくとも仕事においては成果を上げられる有能・優秀な人が高い評価を受けるのが自然のことです。

しかし実際には、評価が逆になることが、しばしば起こります。
有能・優秀な人が評価されず、無能なことが評価される
ということが起こるのです。
有能なために評価されず、無能なために評価されるのです。
当然ながら、非合理・不条理の極みです。
しかし世の中では、このようなことを非合理・不条理とすら思わずに行っている人もいます。
それでは、なぜ有能な人が評価されないようなことが起こるのか、そして有能な人はそのような場合にどのような対応をしたら良いのかについて説明していきます。
成果ではなく労力で評価する

有能な人が評価されないケースにおいては
成果ではなく労力で評価する
という根性論のような、無意味な評価方法が採用されてしまっています。
次の2つの例を比べてみてください。
1つ目の例です。
金庫を持っているとします。
金庫の中には、自分の全財産や重要な書類などを保管してあります。
しかしある日、金庫が壊れてしまったのか、どうしても開かなくなってしまいました。
当然ですが、開けられないのでは困ります。
そこで、仕方なく鍵屋を呼ぶことにしました。
鍵屋は到着するなり、金庫を開ける作業に取り掛かります。
すると、1分も経たないうちに金庫は開きました。
「終わりましたよ。金庫も今まで通り使えます。代金は2万円になります。」
2つ目の例です。
鍵屋を呼ぶところまでは同じです。
鍵屋は到着するなり、金庫を開ける作業に取り掛かりましたが、なかなか開きません。
色々な道具を使いながら試していますが、一向に開く気配はありません。
1時間ほど待っていると
「開きそうにありません。開けるためには壊すしかありませんがよろしいですか?」
と鍵屋が言ってきました。
金庫を壊すのは痛手ですが、中の全財産や重要な書類を出せないよりはマシですから、金庫を壊してもらうことにしました。
その後、鍵屋は汗だくになりながら金庫を壊すために必死で作業をしています。
そして1時間ほど経った頃に
「何とか開きました。作業代は2万円ですが、壊れた金庫を引き取った方が良ければ、5000円で引き取りますが。」
100kg以上ある壊れた金庫を家に置いておいても処分が大変ですので、トータル2万5000円支払いました。
いかがでしょうか?
2つ並べてみると冷静に考えることが出来ますが、それぞれの状況の現場に自分がいたとしたらどうでしょうか?
・1分の作業で2万円は高い。
・2時間頑張ってくれて、2万5000円は安くはないけれど仕方ない。
というように感じる人が少なからずいます。
しかしそれは、とても非合理的であるのは明白です。
一つ目の話は
金庫も無事で、1分で終わった。
つまり2万円というお金だけで、問題は全て無くなった。
二つ目の話は
2時間という時間を失っただけでなく、金庫も新しく買わなくてはならない。
2万5000円と2時間というコストを支払ったが、まだ問題は無くなっていない。
ということです。
どちらが顧客にとって、好ましい結果なのかは明白ですよね。
しかし、1つ目の話の状況には不満を持ち、2つ目の話の状況には納得をする人が多くいるという事実があります。
つまり、1つ目の話の鍵屋に対して評価をせず、2つ目の話の鍵屋に対しては評価をしているということです。
なぜそのようなことが起こるかというと
成果ではなく、労力を評価しているから
です。
本来であれば、「どれだけスムーズに金庫を開けるか」という成果を評価することが、仕事に対しての正当な評価です。
しかし、実際には「どれだけ頑張ったか」という労力を評価してしまっているのです。
普段であれば成果を評価する人も、このように労力を評価してしまうことがしばしばあるのです。
これは、作業をしているのを間近で見ていて、労力を確認している場合に起こりやすい非合理です。
当然ですが、そのような効果を狙って、汗水たらして頑張っている所をあえて見せつけてくる手法はよく使われます。
無能な人や自信がない人の常とう手段です。
価値の本質を理解できていない

では、なぜ成果ではなく労力を評価してしまうかと言えば
価値の本質を理解できていない
ということが原因です。
先程の鍵屋の例で言えば、1分に対して2万円という金額だと考えてしまうのです。
時給計算すれば、時給120万円です。
そのような考え方で、この鍵屋は高すぎると感じるわけです。
しかし、それはこの鍵屋の価値の本質を理解していないだけかもしれません。
その鍵屋は、金庫を1分で開けられる素晴らしいスキルを持っているのです。
そしてそのスキルを身につけるために、もしかしたら何十年も修行をしているかもしれません。
つまり1分に対して2万円ではなく、1分で開けられるスキルこそが鍵屋の価値であり、その価値に対しての報酬が2万円ということです。
さらに言えば、1分で終わらせてくれたということは、依頼した側の失う時間を最小限にしてくれたということにもなります。
依頼者が失ったものは
1分 + 2万円
ですよね。
それに対して2つ目の例で依頼者が失ったものは
2時間以上 + 2万5千円以上
です。
金庫を買いなおさなくてはいけないので、金庫を買う時間もお金もさらにかかるのです。
このことについて、ピカソの有名な逸話があります。
ピカソが公園にいると、女性がやってきて、自分の絵を描いてほしいと頼みました。
ピカソは、しばらく女性を観察した後、数秒で素晴らしい絵を描きました。
「私の本質を一筆でとらえてくださったのですね!!驚きです!!お支払いはおいくらですか?」
「5000ドルです。」
「ほんの数秒だったのに、そんなにですか??」
「いえ、数秒じゃありません。これまでの全人生と数秒です。」
わかりやすい逸話ですよね。
ちなみにスキルが非常に高い人を呼んだとして、結果として仕事内容が非常に簡単だったとしても、報酬は高額になります。
このことも理解できない人が多いですが、スキルが高く価値が高い人の時間を使うのであれば、相当の対価を支払わなくてはならないのは当然のことです。
仕事ができない人の思考

この価値を理解できず、成果でなく労力で評価をするというのは、仕事ができない人の思考そのものです。
仕事が出来な無能な人は
・こんなに頑張っているのに、評価されないなんておかしい
・時間をたくさんかけて仕事しているのに、評価されない
というように考えがちです。
成果ではなく労力を評価するというのは、このような考え方が根底にあるわけです。
当然ながら、仕事においては成果が評価対象であって、努力や労力は評価対象になり得ません。
時間がかかるのは優秀でない証拠です。
時間をかけないと仕事が終わらない人を、高く評価する道理はありません。
仕事ができないからそのような思考になりますし、そのような思考だから仕事ができないわけです。
ただし、人には厳しく自分には甘い人もたくさんいますけどね。
人の労力は評価しないけれど、自分の労力は評価しろ、と言う人は本当に多いですよね。
有能な人の対応策

もっとも考えなくてはいけないことは、有能なゆえに評価されない人がどうすればいいのかです。
無能な人は基本的に変わりませんので、有能な人が対策をしなくてはなりません。
方法は大まかに三つあります。
・労力をかけているように、見せかける。
・自分の有能さを説明する。
・価値がわかる人とだけ仕事をする。
まずはわざと時間などをかけて、大変なように見せかけることです。
有能な人であれば、簡単にできるでしょうが、本当に有能な人であればプライド的にこの方法はとらないことが多いでしょう。
そしてこの方法を続けていけば、有能な人も無能化していくのは確実です。
また、自分の有能さをアピールする方法もあります。
自分がやっていることがどれだけ大変で、それを簡単にできる自分はどれだけすごいかということを説明するのです。
しかしこれも、本当に有能な人は好まない可能性が高いですよね。
また、いくらアピールしても伝わらないことも考えられます。
最後に、自分の価値がわかる人とだけ仕事をするということです。
これが一番お勧めですね。
非合理的でゆがんだ判断しかできない人は、基本的には変わりません。
接しないことが、最も良い選択肢です。
まとめ

・人は成果よりも労力を評価することが、しばしばある。
・それは価値を理解できずに、労力を価値だと混同しているから。
・このような思考は、仕事ができない人の思考そのもの。
・有能な人は、価値を理解できる人とのみ仕事をした方が良い。
実を言えば、労力を評価するというのはあながち間違っていません。
有能・優秀な人は、そのレベルになれるまでたくさんの努力をして、時間と労力をかけてきているわけです。
その結果として、現場での労力が少なく見えるのです。
その場で労力をかけなくてはいけない無能な人は、それまでに努力が足りていないだけです。
つまり労力を見る場合には、それまでの労力トータルを考える必要があるのです。
その場での労力だけを評価することは、全く意味がなく非合理的であるのは明らかです。
その場で労力を割いているということは、それまでの労力が足りていないことと同義ですからね。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。