教育・子育て

学校教育の致命的欠陥

学校教育の致命的欠陥

今回は、学校教育の致命的欠陥についてです。

 

結論としては

・学校教育には、「なぜ学ぶのか」がない

・学校の勉強は、目的ではなく手段の一つ

・本来、学ぶことは楽しいこと

です。

 

日本人のほとんどの人が小学校・中学校・高校に通い、学校教育を受けます。

様々な教科の授業を受けて勉強して、テストや受験を受けますよね。

色々なことを学ぶわけです。

そして、それらに費やす時間は、それはもう膨大です。

 

しかし学ぶということに関して、学校教育には致命的な欠陥が存在します。

それは

学校教育には、「なぜ学ぶのか」がない

ということです。

 

・何のために勉強するのか

・将来、どのように役立つのか

・勉強することで、得られるものは何か

・勉強する目的は何か

などです。

これらが、全く存在しないんですよね。

 

何で勉強しなくちゃいけないのか

というような疑問を感じたことがある人は、多いですよね。

そしてその疑問に対して、明確に答えてもらったことがある人は、ほとんどいないのではないでしょうか。

 

学ぶ理由を教師や親に聞いても

・勉強しないと将来が厳しくなる

・勉強しないと社会で通用しない

・勉強したくない言い訳をするな

のような答えになっていない答えが返ってくるのがオチです。

 

要するに

教師や親などほとんどの大人は、「なぜ勉強するのか」を理解していない

というわけです。

理由もわからないのに、「勉強しなさい!!」とか言っているのです。

教育レベルが低いのは、当然の結果ですね。

 

当たり前のことですが、学ぶのに際して、「なぜ・何のために学ぶのか」ということを理解することは大切なことです。

それでは、「なぜ学ぶのか」について説明していきます。

 

学びの本質

「学ぶ」と聞くと、多くの人が学校の勉強などを想像するようです。

しかし、「学び=学校の勉強」というわけではありません。

学校の勉強は、学びの中の一つに過ぎません。

 

本来、学びとは

・知らないことを知ったり理解すること

・理解をさらに深めること

のようなこと全般のことです。

 

例えば小さな子供は、世の中の様々なことをほとんど知りませんから、毎日が学びの連続です。

そして学びの根源となるのは、「好奇心」です。

子どもは

「なんで?」

「なに?」

「どうして?」

の連続ですよね。

この「?」が好奇心であり、学びの原動力になるわけです。

 

つまり

好奇心を満たすことこそが学びの本質

というわけです。

ですから、そもそも「学ぶ」ということは人間にとって、最も面白いことなのです。

 

学びの本質を理解している人は、大人になっても様々なことを学ぶために、勉強を楽しんで継続します。

勉強は子どもの頃にやるものだと思っていて、大人になったら全く学ぶことをしない大人は、学ぶということを理解していないわけです。

そんな大人ばかりですが・・・

 

学ぶための勉強

では、初等教育(小学校の教育)が好奇心を満たすための勉強かと言えば、そんなこともありません。

平仮名やカタカナや漢字、四則演算などに対して、好奇心が湧く子どもは多くはないですよね。

しかし、そのような勉強は当然意味があります。

小学校で行われている教育の半分くらいは必要ないでしょうが、最低限の知識などは必要不可欠です。

 

なぜなら

その後、学ぶために必要不可欠だから

です。

 

例えば、何かに興味を持って本を読んで学ぼうとした場合、当然ですが字を知らなくては読めません。

何かを学ぶとしても、最低限の知識・教養がなければ学ぶことすらできないのです。

 

つまり、小学校などの勉強は

学びを行うために必要な知識を身につけるための勉強

なのです。

これが、小学校における学ぶ理由です。

「勉強をするための勉強」といったところですね。

 

また、小学校から中学校くらいの教育には、本来的にはもう2つ重要な役割があります。

1つ目は

学ぶことの楽しさを教えること

です。

 

学びは本来楽しいものにも拘らず、多くの人が子どもの頃から「楽しくないもの」と思ってしまいます。

これは、教師を始めとした大人の責任です。

学びの楽しさを知れば、子どもは勝手に学ぶようになります。

教師などは、学ぶことの楽しさを教えれば良いのです。

 

そのためには

得意なことをどんどんやらせる

ということが重要です。

「できた!!」「わかった!!」という喜びが、学びの最大の喜びです。

それをできるだけ経験させてあげれば良いのです。

それなのに学校教育は、苦手を克服させて周りと同じで平均的になることを要求します。

嫌いなことや苦手なことばかりやらされていたら、そりゃあ勉強が嫌いになりますよね。

教師って、勉強を嫌いにさせるプロなんじゃないかと思わされます。

 

2つ目は

自分に合った学び方を見つけさせること

です。

人は得いな学び方というのがそれぞれ異なります。

人に教えてもらうのが得意な人もいれば、自分のペースで独力で学ぶ方が合っている人もいます。

これは、性格や好みの問題なので、優劣があるわけではありません。

 

優劣はありませんが、自分に合った方法で学んだ方が、効率が良いですし楽しいのは明白です。

わざわざ苦手な方法でやる必要などないのです。

 

しかし、現実の学校教育では、一律で同じような方法で勉強することを要求するのです。

教師は個性を消すプロでもありますね。

 

受験勉強は手段の一つでしかない

では、高校などでの勉強の目的は何でしょうか。

高校生くらいになると、学ぶための必要最低限の知識などはすでに身につけていることがほとんどです。

「勉強をするための勉強」は一通り終わっている状態です。

 

高校での勉強と言えば、やはり受験勉強が思い浮かびますよね。

その受験勉強が、大人になって社会に出て役に立つのか疑問を持つ人も多いと思います。

そして、そのような疑問を教師にぶつけても、まともに答えてくれないことがほとんどです。

なぜなら

受験勉強の中には、社会に出て役に立たないものがたくさんある

からです。

教師は正直に答えられないのでしょう。

 

やりたくない上に役にも立たないのに、やらされるわけです。

ますます勉強が嫌いになれそうですよね。

 

しかし、受験勉強が無意味なわけではありません。

受験勉強は、もちろん受験に受かるための勉強です。

そして受験というのは、人生の選択肢を増やせる1つのツールです。

 

例えば、医者になりたければ医学部に入学して卒業して、国家試験を突破する必要があります。

それ以外に医者になれる方法はありません。

ですから医者になりたければ、まずは受験で医学部に受かる必要があるということです。

日本の国としてのシステムが、そのように構築されているわけです。

 

つまり

・受験勉強をすることは、選択肢を増やすこと。

・それが正しいかは別として、日本はそういうシステムになっている。

・そのシステムの中で生きているのであれば、勉強は手段の一つ。

ということです。

 

受験勉強の成績が良ければ、大学なども含めて選択肢を増やすことが出来ます。

勉強の出来具合で判断することが正しいかは別として、それが日本のルールなのです。

日本で生きていく以上、そのルールで戦う必要があるということです。

もしそのルールが不満であれば、ルールを変えられる人間になるしかありません。

 

要するに

受験勉強は、それ自体に意味はないが将来の目的を果たすための手段

ということです。

 

ただし当然ですが、受験というレール以外の道を歩いていく選択肢もあります。

その場合には、受験勉強はほぼ無意味になります。

目的に合わない手段になってしまいますからね。

 

勉強する理由や目的を考える

今のほとんどの学校教育は、「学ぶ理由や目的」をスルーして、手段である勉強を目的化しています。

本来「学ぶ理由や目的」について最初に教えなくてはならない教師自身が、これらをスルーした環境で学んできたため、全く理解していないのです。

 

「学び」の本質は、好奇心です。

その好奇心に従って学ぶことこそが、楽しい学びに繋がります。

 

しかし、「勉強」となるとそれだけではありません。

「勉強」は社会のルールの中で、自分の目的を達成するための手段でもあるのです。

ですから、手段として必要であれば、嫌でもやるべきです。

逆に手段として必要がなければ、嫌ならやらなくてもいいわけです。

 

親や教師などの大人は、子どもに勉強をさせる上で、その理由や目的を考えなくてはなりません。

子ども自身も、中学生や高校生くらいになったら自分自身で考える必要があります。

「何となく言われたから」という理由で行う勉強は、非効率的な上に身につかないことばかりです。

 

そもそも自分の目的に対して

勉強する必要があるか

勉強の必要があるのであれば、どんな勉強が適切か

ということから考えるべきです。

思考停止はやめましょう。

大半の教師は、何も理解していませんから、ただ従っていても無駄な時間を過ごすだけの可能性が高いです。

 

まとめ

・学校教育には、「なぜ学ぶのか」がない

・教師を含めた大人は、「なぜ勉強するのか」を理解していない

・好奇心を満たすことこそ学びの本質

・学校の勉強は、目的ではなく手段

本来的には、子どもの頃より大人になってからの方が勉強する必要があります。

学校教育の本当の役割は、その準備とも言えます。

 

しかし、教師をはじめとして大半の大人は、何のために勉強をするのかということすら考えたことが無いのです。

そのくせ勉強が大切だとか上から言うわけです。

そんな大人に、進路など将来のことをあれこれ言う資格なんてないんですけどね。

颯爽と無視して差し上げましょう。

 

ただし非常に少数ではありますが、しっかり考えていて学び続けている教師も存在します。

そのような教師に巡り合えた人は、とんでもなくラッキーですね。

 

「何で勉強しなくちゃいけないんですか?」

この質問をすれば、教師のレベルは大体わかりますよ。

やってみてください。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。