社会

エビデンスの妄信は危険

エビデンスの妄信は危険

今回は、エビデンスに対する考え方についてです。

 

結論としては

・エビデンスの盲信は危険

・エビデンスは、結果ありきで作られたものも多々ある

・論理的整合性と自分の感性も使って判断することが重要

です。

 

科学的エビデンスは、非常に重要なものです。

様々なことに対して、仮説を調査・実験・研究により証明したり否定したりすることなどを繰り返すことで、エビデンスが導き出されます。

そして導き出されたエビデンスを積み重ねることによって、様々な事象を解明して最善の手段を講じることが出来るようになります。

言ってみれば、エビデンスは人類の進歩の礎でもあり、英知の結晶とも言えるものです。

ですから、科学的エビデンスは非常に価値の高いものと言えます。

 

しかし、そのような科学的エビデンスであっても、盲信するのは危険です。

実は科学的エビデンスと言っても、全てが正しいというわけではありません。

むしろ、完全に正しいと言えるものなど、ほとんど存在しないかもしれません。

完全に相反するエビデンスが存在することも、日常茶飯事です。

 

それでは、なぜ正しくないエビデンスなどが存在するのか、そしてどのようにエビデンスと付き合っていけばいいのかについて説明します。

 

因果関係を証明するのは困難

まず、因果関係を証明するのは非常に困難です。

例えば、「AだとBになる」という因果関係を証明するには、AとBに関係する他の全ての事象を排除しなくてはなりません。

それだけでも非常に困難なことですが、それだけではなく世の中わかっていないことだらけです。

 

医学においても、人間の身体は未だにわからないことだらけです。

例えば、がんが何故できるのかということであっても、いくつか説があり決着はついていません。

ですから、仮に因果関係を証明したとしても、後々新たな事実が発覚してすべてひっくり返るということも十分あり得ます。

そもそもわからないことに囲まれている中で、他の要素を排除して因果関係を証明することは、不可能に近いことでもあるわけです。

 

科学的エビデンスは、因果関係を証明して積み上げていきます。

因果関係の証明が必要不可欠なのですが、それ自体が非常に困難であり、不確定なものだということなのです。

 

結果ありきのエビデンスだらけ

ただし、因果関係の証明が難しいことや証明した因果関係が不確定なものであることは、さほど問題ではありません。

それだけであれば、「9割はエビデンスを信じて1割は疑う」というように考えていれば問題ないでしょう。

というのも、人間は間違えるのが当然のことだからです。

そのことは、科学においても同様です。

 

間違えながら、それを修正して積み上げてきたからこそ、今があります。

失敗と挑戦の繰り返しが、人類の進歩を支えてきたわけです。

間違いだったとわかったら、さらに練り上げ更新し洗練させていけば良いだけです。

 

しかし、そのようなことではなく、正しくないエビデンスが存在する理由が他にあります。

一言で言えば

エビデンスが作られている

ということです。

さらに言えば

結果ありきの研究や調査が行われ、都合のいいエビデンスを作っている

となります。

 

つまり、利権のためにエビデンスを意図的に作っているのです。

そのようなエビデンスと言われる偽物は非常に多くあります。

 

例えば、地球温暖化についてのエビデンスなどは、そのような作られた偽エビデンスの温床です。

どのような研究・調査であろうとも

地球温暖化が進んでいて、CO2を削減しないと環境が壊れる

という結論が最初から決まっているのです。

もちろん嘘ですけどね。

 

そのようなエビデンスを積み上げていくことによって、CO2削減は正当性があるように見せられますし、利権ビジネスにお金が流入します。

つまり利益を得たい連中が、研究者たちにそのようなエビデンスを作らせるためにお金を出しているわけですね。

お金を出しているのは、民間企業などだけでなく、国家もです。

企業や政治家の利益のためのエビデンスを研究者たちは、せっせとデータを改ざんしながら作っているわけです。

 

研究者の立場からしたら、求められたエビデンスを作り続けることで科研費を十分に得ることが出来るのです。

逆に、真っ当な研究をして求められた結果を出さない研究者は、科研費を貰うことはできずに研究を続けられなくなります。

腐っていますよね。

 

このような「今だけ、金だけ、自分だけ」の象徴のようなことが、研究などにおいても日常茶飯事的に行われているのです。

 

論理的整合性+感性

このように作られた嘘エビデンスは大量に存在しますが、真っ当に導き出されたエビデンスも存在します。

ですから、2つのエビデンスが完全に相反するということも珍しくありません。

 

そのような場合には、まず論理的整合性が成り立つかを考える必要があります。

嘘のエビデンスを積み重ねていくと、必ずどこかで論理破綻します。

無理して嘘を浮いて作っているわけですからね。

どこかで辻褄が合わなくなることがほとんどです。

 

それに対して真っ当なエビデンスを積み重ねた場合には、論理的整合性があることがほとんどです。

事実を積み重ねているわけですから、辻褄が合うのは当然です。

 

つまり、論理的思考力と情報を取捨選択する能力が重要になるということです。

これは、情報化社会の現代において、非常に重要なスキルと言えます。

 

但し、仮に論理的破綻もなく整合性が取れているものだとしても、100%盲信するのは危険です。

意図的に利権のために嘘をついているわけではなくても、間違っていることもあり得ます。

わかっていなかったことが、新たにわかってすべてひっくり返ることだってあり得ます。

そのような意味でも、常に知識を更新する意識を持つ必要があります。

 

また、時には論理的思考から離れて、実生活などから感じる感性などを頼りにするのも重要です。

感覚や感性というのは、論理性があるわけではありませんし過信は禁物ですが、時には有効な判断ツールになり得ます。

論理とは違い、実際ですからね。

実際に起こっていることや感じていることは現実ですから、しっかり考慮する必要があります。

 

まとめ

まとめ

・エビデンスを盲信するエビデンス至上主義は危険

・結果ありきで作られるエビデンスは多数ある

・論理的整合性と自分の感性を使って判断する

温暖化問題だけでなく、様々な分野において結果ありきのエビデンスは多数あります。

コロナ茶番なども、その温床です。

 

論文などを参考にするときには、内容だけでなく書いている人の属性や、お金の出所などまで考える必要があります。

製薬会社からお金が出ていて、その会社の薬についての論文で、悪く書くわけがありませんよね。

無知だと騙されてしまいます。

 

しっかり判断する力を身につけていきましょう。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。