今回は、「自分のゴールを持っていない人と議論しても意味がない」ということについてです。
結論としては
・ゴールがない人と議論をしても、何の生産性もない
・ゴールのレベルが違う場合も、生産性のある議論にならない
・まず最初にやるべきことは、ゴールに対して議論すること
・ゴールに向かう方法論は、人それぞれでも良い
となります。
人と議論や話し合いをして、全く話がかみ合わない経験をしたことがあるのではないでしょうか。
多くの場合、その原因は考え方の違いではありません。
話が全くかみ合わない原因は
・一方はゴールを持っているが、一方はゴールを持っていない
・お互いゴールを持っているものの、そのレベルが違い過ぎる
ということがほとんどです。
ゴールというのを「目指すべき場所」「目標」などと言い換えても良いかもしれません。
それでは、「ゴールを持つこと」「ゴールのレベル」などについて、説明していきます。
ゴールを明確にする

何をするにしても、自分のゴールを持つということは必要不可欠です。
そして自分のゴールを認識していることで、他の人と話したり議論したりすることに意味が出てきます。
逆に言えば、ゴールを認識していなければ、議論する意味はありません。
例えば、以下のように勉強する目的が別々の3人がいたとします。
A. 医療を発展させて、世界中の人々を健康にするために勉強している
B. 行きたい大学に合格するために勉強している
C. 目的はないが、周りがしているから自分も勉強している
それぞれゴールが全く違うわけです。
では、この3人が「どのような勉強をしたらいいか」について議論をしたら、どうなるでしょうか?
全く議論にならないのは明らかです。
AとBを比べた場合ゴールのレベルが違いすぎますから、当然やるべきことも変わりますし、やっていることの全体から見た位置づけも変わってきます。
話を成り立たせるためには、AがBのレベルまで降りてこなくてはなりません。
しかし、Aがレベルを下げて話していることに、そもそもBは気づくことがまずありません。
人間は、自分が見てなかったり見えないところに関しては、あえて見ようとしませんし、理解できませんからね。
Cに関して言えば、ゴールすら存在していませんから、どうやっても議論にすらなりません。
「なぜ勉強するのか」という自分の行動の目的や意味すら、理解していないわけです。
しかし、大半の人はこのCと同様なのです。
コロナにおけるマスクとワクチンなんかは、非常に良い例です。
もし仮に、マスクにもワクチンにも効果があったとします。
(当然実際にはありません。むしろ害です。)
効果がある前提で言えば、マスクを外すタイミングはワクチンをうった段階です。
そこがマスクを着用するゴールになります。
そのゴールでないとしたら、他の選択肢は「一生マスクを着け続ける」しかありません。
しかし、多くの人はワクチンを接種しながらマスクを外しませんし、一生マスクをするつもりもないわけです。
何も考えていないわけですね。
ゴールなんて持っていないのです。
自分の行動の目的や意味すら、理解していないわけです。
このような人たちと議論をしたところで、何の生産性もありません。
ですから個人で言えば、まずゴールを設定することが必要不可欠ですし、議論などをする場合はお互いのゴールを明確にすることから始めるべきです。
そうしなくては、ただの時間の無駄になります。
ゴールについて議論する

議論をする際に、多くの人は最初から方法論について議論しがちですが、それは意味がありません。
まずやるべきことは
ゴールについて議論する
ということです。
お互いのゴールを明らかにして、お互いそれを認識したのであれば、そのゴールについて議論することが最初にやるべきことです。
お互いの向かおうとしている先が違えば、進べき道は全く異なってきます。
当たり前ですよね。
例えば一緒にビジネスなど何かをやりたいのであれば、ゴールをすり合わせる必要があります。
完全に一緒でなかったとしても、ある程度同じ方向でなくてはお互い協力することはできません。
ゴールが全くの逆方向に合ったら、協力なんてしようがないですよね。
但し、お互いのゴールが違ったとしてもお互い否定し合う必要はありません。
お互いが違う考え方であることを認識すればいいだけのことです。
協力は出来なくても、各々頑張れば良いのです。
道は一本ではない

お互いのゴールを議論して、ある程度すり合わせることが出来たら、そこで初めてゴールに繋がる道である方法論についての議論が意味を持ってきます。
ビジネスなどでどのような展開をしていくのか、どのような事業に参入するかなどを考えて議論するのは、この段階です。
この段階には、様々な選択肢があります。
何が正解かは、その時点では誰にもわかりません。
ここで認識しておくべき大切なことは
ゴールに到達できる道は、1本ではない
ということです。
そのことを理解していて、ゴールを共有しておけば、進む道が違ったとしても争いや仲たがいにはなりません。
しかし、ゴールを共有していないで方法について議論すると、複数の選択肢が一貫性が無いもののように見えてしまうこともあります。
社長のやっていることはぶれていて、逆のことを言ったり何したいかわからない
というようなことを感じてしまうわけです。
これはミクロ的な視点でしか見えてないわけです。
もっとマクロの視点で見れば、どちらもゴールに向かっていることがわかるのです。
そのためにも、ゴールを理解して共有することが必要不可欠なのです。
まとめ

・ゴールがない人、ゴールのレベルが違い過ぎる人との議論は無意味
・まずはゴールについて議論するべき
・ゴールに到達する道は、1本ではない
自分のゴールを作って認識するためには、まず「常に自分で考える」ということが必要不可欠です。
レールに乗っているだけだったり、与えられた情報や常識だけを盲信していては、自分固有のゴールを作ることはできません。
コロナ茶番でもわかる通り、今の世の中はそのような思考停止の人がほとんどです。
そのような人たちにとって、ゴールは与えられるものでしかないのかもしれません。
そのような思考停止状態から脱却するには、自分で学び考えるしかありません。
脱思考停止こそ、今の世の中に最も欠けていて必要なものだと思います。
頑張りましょう。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。