社会

清廉潔白では巨悪とは戦えない

清廉潔白では巨悪とは戦えない

今回は、「清廉潔白」と「必要悪」についてです。

 

結論としては

・清廉潔白では、巨悪と戦って世の中を良くできない

・必要悪はある

・ゴールを見て、目の前のことばかり気にしないようにする

です。

 

日本においては、政治の世界やビジネスの世界や様々な世界において、出る杭は打たれるのが通常です。

何か叩く材料を見つけて、メディアやSNSで袋叩きにしますよね。

しかも、どうでもいいくだらないことで叩きまくっています。

不倫やら過去の発言やら賭博やら飲み会やら。

本当にどうでもいいことばかりです。

 

例えば、日本を良くしようと必死に頑張っている政治家がいたとして、その人に愛人がいても政治家としての能力や想いが変わるわけではありません。

愛人がいることで問題なのは、奥さんなど家族との関係です。

周りがどうこう言うことではありません。

 

日本人は(日本人に限らないかもしれませんが)公人などに対して清廉潔白を求めようとします。

しかし、世の中に完璧に清廉潔白の人など存在しません。

公人を叩き続けている大衆自身も、誰しもが何かしら後ろめたいことの一つや二つ持っているはずです。

それが当たり前であり、人間とはそういうものだと思います。

 

恐らくはそのようなことも認識していても、公人を叩くのでしょうね。

ストレス発散の道具として使っているのでしょう。

 

しかし、そのような陰湿で無生産的な行動は、時に社会を悪くしてしまいかねません。

少し語弊があるかもしれませんが、本来正義である人をそのようなくだらないことで潰していることが多々あるのです。

 

それでは、それがどのようなことなのか説明していきます。

 

本当の悪は表に出てこない

「悪」というのを定義するのは難しいですが、世の中一般的に「悪い」という認識が強いことを悪とすると、世界の支配階級は巨悪です。

一般的な法やモラルを正義だとすれば、支配階級の行っていることは悪であることが多いです。

 

しかし、そのようなことが表に出てくることは滅多にありません。

当然のことです。

メディアやSNSのプラットフォームを管理・支配しているのが、まさに支配階級ですからね。

自分に都合の悪いことを出すはずもありません。

出す場合は何か意図があってのことの可能性が高いわけです。

 

そのように考えると、私たち一般人が飛びついている「公人などの悪」というのは、あえて出してきているものとも考えられます。

飛びつかされているわけです。

もちろん、支配層にとってメリットがあるからです。

 

必要悪

では、例えば勇気と志を持った政治家が、巨悪である支配層を倒そうとしたとしましょう。

支配層は権力を持っているため、何でもやりたい放題です。

ルールなんてないのも同然です。

 

それに対して勢力に劣る勇気と志を持った政治家が勝負をするのは、そもそも不利なのです。

不利な上に清廉潔白で戦っては、勝負にすらなりません。

一般的には「悪」だとしても、やらなくてはならないことは多々あります。

いわゆる「必要悪」です。

 

世の中には、必要悪は多々あります。

例えば、裏金などもそうです。

国家の裏金である官房機密費のように、表に出てこないお金は山ほどあります。

企業なども2重帳簿をつけて裏金を作っているはずです。

しかし、表に出ないお金を作ることで可能になることもありますし、そのようなことが必要不可欠な場合も多々あります。

要するに、正義ぶって正論ばかり言っているのは、現実の見えていない偽善でしかないわけです。

 

そしてその偽善を爆発させるのが、いわゆる大衆の感情です。

必要悪に対しても飛びつき叩き続けることで、志を持った人たちを潰している可能性があるのです。

しかも、そのような人を待望しているのは、他でもない潰している大衆なのです。

支離滅裂です。

 

結局のところ、あり得ない清廉潔白を求め、必要悪を認めないことが原因になってしまいます。

 

目の前のことに捉われない

結局のところ、多くの人が望む何かを志して成し遂げようとする人がいた場合、それを潰すのは大衆のくだらない感情なことが多々あるのです。

本末転倒です。

 

そのようなことになってしまう原因は、多くの人が目の前のことしか見ないからです。

目の前にある「必要悪」などを攻撃するわけです。

 

本来であれば、その必要悪が何のために行われているのか、ということを考える必要があります。

ゴールをイメージしなくてはならないのです。

そして、目的はゴールに到達することです。

手段を清廉潔白にすることは目的ではないはずです。

 

このような手段だけに着目してゴールをイメージできていないために、批判を繰り返す人は本当に多いです。

はっきり言ってしまえば、害でしかありません。

 

目の前に捉われず、俯瞰的に見る必要があります。

 

まとめ

まとめ

・清廉潔白な人は存在しない

・大衆は公人に清廉潔白を求めて叩く

・そのこと自体が本末転倒な行為

・必要悪を認めなくてはならない

・俯瞰的に見る必要がある

 

ほとんどの場合、大衆が正義を気取って、悪を罰していると思って行っている行為はコントロールされているだけです。

気付かないうちにいいように操られて、利用されているわけです。

 

また大衆が騒いでいる裏では、秘密裏に何かが進められているのも常とう手段です。

有名人の薬物の報道などは典型例です。

大衆の目をそちらに向かわせて一生懸命叩かせている間に、都合の悪いことを処理するのです。

 

結局足を引っ張っているのは、文句を言っている無知な人たちなのです。

無知は罪にもなり得ます。

良く学んで考えましょう。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。