お金・投資

「汗水たらして得たお金」は尊いのか

「汗水たらして得たお金」は尊いのか

今回は、「汗水たらして得たお金の価値」についてです。

 

結論としては

・どのような手段で得たとしても、お金の価値は変わらない

・苦労して稼いだお金の価値を尊いと思うのは、自分の価値を高くしたいから

・お金は道具の1つに過ぎない

です。

 

・汗水たらして稼いだお金は尊い。

・お金は頑張って働いて稼ぐもの。

・苦労しないでお金を得るのは、汚いこと。

このような教えを親などから受けたことがある人は、少なくないのではないでしょうか。

日本人の好きな思想です。

 

このようなことを言う人は

「大切なのはお金じゃない」

「お金を求めてばかりだと、大切なものを失う」

などということも、セットで言ってくることが多いですよね。

 

確かに、お金よりも大切なものはたくさんありますし、お金で買えないものもあります。

お金を求めることに執着してばかりだと、大切なものを失うかもしれません。

 

しかし、それでもこれらのことはただの的外れな意見であり、お金に捉われて生きている人がいう言葉であることがほとんどです。

そして、そのような人は「お金とは何なのか」という本質的なことを理解していません。

 

それでは、「汗水たらして得たお金は尊い」というのはどのような考えからくるのか、そしてお金に捉われないようになるための考え方などについて説明していきます。

 

お金に色はない

絶対的な事実として、お金に色はありません。

・苦労して仕事をして稼いだお金

・効率よく簡単に稼いだお金

・誰かに貰ったお金

・株式投資で得たお金

これらはお金を得る手段こそ違いますが、そのお金が財布に入ったり銀行口座に入ったりしたら、区別はつきません。

どのように得たお金でも、1万円は1万円です。

獲得手段によって、お金の価値が変わるなんてことはあり得ないのです。

当たり前ですよね。

 

当たり前なのですが、多くの人はお金を獲得手段によって区別することが、非常に良くあります。

例えば、頑張って働いて稼いだお金は大切にするのに対して、パチンコなどで偶発的に手に入れたお金はパーッと使うということは、よくあることですよね。

これは

頑張って働いて稼いだお金は、きれいで価値の高いお金。

パチンコで勝って得たお金は、汚くて価値の低いお金。

というような心理が働くからです。

きれいで価値の高いものは手元に置いておきたい反面、汚くて価値の低いものは手放したいという心理です。

非合理的ではありますが、人は無意識にこのような心理を働かせる傾向にあるのです。

 

このような考え方によって

・頑張って働いて得たお金は、価値が高く真っ当なお金

・不労所得や遺産などで裕福な人は、ろくなものじゃない

という発想になりやすいわけです。

 

当然ですが、このような発想はただの感情論であり、全く理屈は通っていません。

お金にきれいも汚いもありません。

 

自分の人生を差し出してお金を得ている

では、なぜ「頑張って働いて稼いだお金は、きれいで価値の高いお金」という考え方になるのでしょうか。

 

この考え方の根底にあるのは

自分の人生の価値

です。

 

ほとんどの人は、お金を得るために仕事をしています。

仕事をするということは

自分の時間と労働力を差し出す

とも言えます。

 

自分の時間というのは自分の人生そのものですから、自分の人生の一部を差し出していることと同じなのです。

つまり、ほとんどの人は仕事を通じて

お金を得るために、自分の人生の一部を差し出している

ということに他ならないのです。

 

では潜在的にこのような意識を持っている人たちが、不労所得や相続した資産などで裕福に生活している人を見たら、どのように感じるでしょうか。

不労所得や遺産などは、人生の一部を差し出して得ているわけではありません。

言ってみれば

犠牲を払わずに、お金を得ている

というように見えるのです。

 

すると自分がやっている「人生の一部という何よりも大切なものを差し出してお金を得る」ということを否定されるわけです。

お金は人生の一部を差し出さなくても得られる。

→ 差し出している自分の人生は無価値。

このような心理状態になりかねません。

 

自分の人生を否定されるわけですから、ほとんどの人はこの事実を認めることが出来ません。

認めることが出来ないため、不労所得や遺産などを得ている人たちを否定しようとするのです。

あいつらは汚い

となるのです。

もちろん、自分を正当化するためですね。

 

いわば自己防衛です。

自分を正当化するのに、最も簡単な手段は他人を否定することですからね。

現実から目を背けて、相手を悪者に仕立て上げているのです。

ただの自分への慰めや他者への妬みですが。

 

お金は道具

では、本来的には

・人生の一部という大きな犠牲を払って、お金を得る

・できるだけ犠牲を払わずに、お金を得る

このどちらがお金との付き合い方として、効率的なのでしょうか。

もちろん、出来るだけ犠牲を払わない方です。

 

お金は生きていくうえで非常に大切なものであることは間違いありませんが、道具でしかありません。

人生の目的はお金ではありません。

豊かな人生を送るために、お金という道具を使うのです。

 

ですから、できるだけ犠牲を払わずに効率的にお金を手に入れようとするのは、道具としてのお金の使い方としては合理的で当然の行為です。

誰もが、お金ではない他の道具であれば、そのようにしているはずです。

 

「お金は頑張って働いて稼がなくてはいけないもの」と思っている人は、仕事のことをお金を稼ぐ手段としてしか見ていないわけです。

しかし不労所得などがあり、仕事でお金を稼がなくてもいい人は

・自分のやりたいこと

・自分の好きなこと

・社会の役に立つこと

などを給料が低かったり無かったりしても、仕事にすることもできます。

給料が無くても良ければ、どんなことでも仕事にできますよね。

どっちの方が豊かな人生なのかは、明らかです。

 

「仕事=お金を稼ぐ」と考えている人こそ、お金のことばかり考えているわけです。

お金の奴隷です。

 

稼ぎ方よりも使い方

結局のところ、お金をどう稼ぐかは問題ではないのです。

(もちろん、詐欺などの犯罪はダメですが。)

仕事をしてその結果としてお金を稼ぐことを否定するべきではないですが、同じように不労所得なども否定する理由もありません。

嫉んで否定しているくらいなら、自分も不労所得などを得られるように、一歩ずつそちらに近づけばいいだけです。

 

お金について最も大切なのは、稼ぎ方ではなく「使い方」です。

お金自体にきれい・汚いはありませんが、使い方に優劣はあります。

道具としてのお金は、使い方によっては人生を豊かにすることもできますし、人生を壊すこともできます。

 

お金持ちが大金を寄付したりすると、日本では「売名だ」「汚い」などという批判が起こったりします。

意味不明以外の何物でもありません。

 

仮に売名だとしても、寄付された人たちは助かるわけです。

楽してお金をたくさん稼いで、たくさんのお金を貧困で苦しんでいる子供たちに寄付することで、不幸になる人はいませんよね。

子供たちの人生を少しでも豊かにすることになります。

人生を豊かにする道具としてのお金の役割を、十分に果たしています。

(寄付された団体が、悪質なことをしている場合は別かもしれませんが。)

 

批判している人は、苦しんでいる人たちに寄付しているのでしょうか。

寄付は義務ではないですが、寄付する人を批判する理由がどこにあるのでしょうか。

ただの嫉みです。

 

嫉んで意味不明な批判をしたり、「お金は苦労して稼がなくてはいけない」などという何の根拠もないことを言う前に、お金の使い方を学ぶべきです。

当然ですが、お金に働かせてお金を得るという使い方も、お金の使い方の1つの選択肢です。

 

まとめ

・どのように得ようが、お金の価値は変わらない。

・ほとんどの人は、自分の人生の一部を差し出してお金を得ている。

・お金は人生を豊かにするための道具でしかない。

・お金の使い方には優劣はある。

 

「お金は汗水たらして稼がなくてはいけない」

「お金は楽して稼いではいけない」

「お金持ちは汚い」

などという意味のないことを子供に教えるのではなく、有意義なお金の使い方を学んで子供に教えることこそが重要です。

これらはただ自分を正当化するための、こじつけでしかないのです。

 

親の常識は子供に継承されてしまいます。

子供に豊かな人生を送ってほしかったら、しっかり学んで意味不明な偏見や常識を捨てましょう。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。