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日本と欧米の労働観の違い

日本と欧米の労働観の違い

今回は、働くということについてどのような観念を持っているかという「労働観」についてです。

 

要点としては

・日本と欧米の労働観の根底は大きく異なる

・日本の労働観の根底は、報恩の思想

・欧米の労働観の根底は、罰の思想

です。

 

日本人の労働観と言えば

・勤勉性が高い

・忠誠心や帰属意識、奉仕精神が強い

というようなことが、よく言われてきました。

・転職率の低さ

・長時間労働

・終身雇用制

・年功序列

などは、その労働観の現れと考えられています。

 

しかし、近年のグローバル化によって、このような日本人的働き方が変わってきています。

そのことを良い変化だと捉える人もいれば、悪い変化だと捉えている人もいるようです。

 

では実際に、近年日本人が長年持ち続けてきた労働観が大きく変わってきたかと言えば、実はそういうことではありません。

例えば、明治・大正時代の労働者は、転職することを当たり前の形と考えていたであろうと言われています。

また、終身雇用制は明治・大正時代には存在しておらず、1950年代半ばの段階においても確立されていませんでした。

 

つまり、日本人の労働観と考えられている勤勉性や忠誠心・奉仕精神などは、決して日本人の一貫した労働観というわけではないのです。

時代やその時の経済状況などによって、労働観は変化してきているのです。

 

とは言え、日本人の労働観の根底にあるものは、欧米の人たちのそれとは大きく異なることも事実です。

そしてその日本人の労働観の根底が、近年のグローバル化などによって崩れてきているようにも感じます。

 

それでは、日本人や欧米人の労働観の根底のルーツなどについて説明していきます。

 

欧米の労働観の根底

ヨーロッパにおいて労働は、「罰」として考えられてきました。

ヨーロッパ文明の原点とも言える古代ギリシャでは、生きるための糧を得るための活動は、卑しいこととして考えられてきたようです。

その後ローマ時代になると、労働観が宗教的価値観に組み込まれていきます。

具体的には、キリスト教(カトリック)において

アダムとイヴが神に禁じられたリンゴを食べてしまったことで

・アダムには食べ物を自分で作る罰

・イヴには妊娠出産の苦しみ

を与えられたのです。

つまり、神からの罰が労働だということです。

英語の「labor」は労働という意味ですが、「labor pain」が陣痛という意味なのは、このためだそうです。

 

そのような概念ですから、人々は当然労働をしたくないわけです。

ですから労働は、戦争で負かしたり植民地として支配した奴隷にやらせていたということです。

奴隷社会の根底には、このような背景があるのです。

この感覚は日本人にはない感覚です。

但し、キリスト教の中でもプロテスタントは、16世紀以降働くことは良いことで仕事は神に与えられたものだという考えを示しました。

そのため、プロテスタントの影響が強いアメリカやドイツは、欧米の中でも比較的まじめに働くことは良いことだという考えがあるようです。

どちらにしても、働くということは宗教的な考え方が強く反映されているということです。

 

日本の労働観の根底

日本

日本の労働観の根底は、イエ社会やムラ社会から来ていると考えられています。

共同体から受ける恩恵に対して、働くことで恩を返すという考え方です。

簡単に言えば

家族のため、世の中のために一生懸命働くことが義務

というものです。

 

また、労働は神と接する行為とも考えられていたようです。

日本人はキリスト教などの一神教とは異なり、自然などあらゆるものに神が宿ると考えてきました。

自然そのものを神と考えていたとも言えます。

八百万の神ですね。

ですから農業などは、まさに神と接する行為だったわけです。

そして、日本的儒教思想においては「労働は美徳」という思想もあったようです。

 

このように、日本人の労働観は

労働は報恩の行為であり、素晴らしいこと

というものだったのです。

それが勤勉さなどに繋がっているのかもしれません。

 

グローバル化

情報化社会になった世界は、急速にグローバル化が進んできました。

グローバル・スタンダードという言葉も、日本で普通に使われるようになりました。

 

そしてその波は、働き方にも及んできています。

終身雇用や年功序列は、終わりを迎えつつあります。

終身雇用や年功序列などが日本の労働観を示しているわけではないですが、それらが崩壊するのと同じように、日本の労働観の根底も否定され続けているように感じます。

奉仕や報恩の精神が失われてきていまるのではないでしょうか。

 

そもそも、奉仕や報恩という考え方は資本主義に沿ったものではないという現実もあります。

しかし、グローバル化を推し進めることによって、日本人の大切な精神が失われてしまっていないかをよく考えるべきではないかと思います。

 

まとめ

まとめ

・欧米の労働観の根底は、「労働は罰」

・日本の労働観の根底は、「労働は報恩」

・グローバル化によって、日本の労働観が否定されてきている

資本主義社会というのは、言ってみれば欧米の労働観を反映したようなものとも言えます。

個人が自分のために利益を求め、資本家になって労働者を雇って働かせた人に富が集中する仕組みです。

それに対して、日本の労働観の根底にある報恩の精神は、どちらかと言うと社会主義的な思想ですから、現代の社会構造に合っていないかもしれません。

 

しかし個人的には、時代や状況問わず日本の労働観は非常に重要だと思います。

世の中の全てのものは誰かの仕事で出来ているのですから、労働というのは社会を構成する要素です。

労働を一人一人が責任をもって果たすことで、はじめて社会というものは成立します。

誰かが労働してくれた恩恵を受ける分、自分も同様に社会に労働を提供するわけです。

そのような意味では、日本的な労働観というのは本質をとらえたものだと感じます。

 

最近、資産所得で生活していく「FIRE」という生き方が話題になりました。

働かなくても良いというものです。

本来であれば「収入関係なく好きな仕事をできる・世の中のための仕事ができる」というものだと思うのですが、多くの人には「働かなくて良い」という方が魅力的に映るようです。

 

これを突っ込んで考えると、まさに自分が働かないための搾取以外の何物でもありません。

欧米の労働しないための奴隷社会と同じです。

要するに、資本主義というのは言ってみれば奴隷社会と何も変わらず、欧米人の労働観を体系化した社会システムなわけです。

 

日本人は自分たちの労働観を否定して、欧米人の労働観を受け入れていますが、本当にそれが良いことなのか疑問です。

もちろん時代と共に変わるものもありますし、資本主義に沿った概念を取り入れる必要もあります。

日本の労働観を全て押し通すのも違うと思います。

しかし、日本の良いところは残し、欧米の良いところを取り入れれば良いと思うのです。

日本人の素晴らしい精神も大切にしてもらいたいと思います。

 

とは言え、税金や社会保険料は右肩上がりにも拘らず、給料が上がらない今の日本の状態では、報恩の精神を持ちづらいのも当たり前かもしれません。

労働意欲は経済状況によっても変わります。

まずは有害無益な緊縮財政をやめて積極財政に舵を切り、経済を良くするのが必要不可欠です。

そのためには、国民が正しい経済の知識を身につけなくてはなりません。

経済について学んでみてください。

(良ければ当ブログの経済基礎講座も参考にしてみてください。)

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。