今回は、「子どもに資産を残すべき?残さないべき?」ということについてです。
このテーマについては、明確な正解があるわけではありませんので、あくまでも個人的な意見となります。
結論としては
・「稼ぐ」ということは、お金の奴隷でもあり、世の中への迎合でもある
・資産を残すことで、子どもが自分の正義や信念を貫けることもある
となります。
どちらかというと「子どもに資産を残すべき」という立場からの話です。
ただし、「資産を残すべきではない」という意見の人も多くいますが、そのような意見を否定する趣旨ではありません。
どちらの選択をするにしても、メリットもデメリットありますから、完全な正解は存在しません。
しかし「稼ぐ」「稼げる」ということが、世の中の絶対的尺度になっていることに対しては、個人的には非常に違和感を感じます。
そのような意味で、「子どもに資産を残す」ということは非常に有効な対抗策になり得ます。
ではなぜ資産を残した方が良いのか、そしてそのメリットとデメリットなどについて説明していきます。
与えられすぎると努力しなくなる

お金に限らず全てのことに共通して言えることですが、人は与えられすぎると努力しなくなってしまいます。
与えられることが、当たり前になってしまう
ということですね。
このことは、個人的にも非常に強く感じることです。
最も顕著に感じたのは、東日本大震災の被災地での支援活動をしていた時でした。
場所にもよりますが、避難所や仮設住宅には様々な支援物資が届いていました。
千羽鶴のように、邪魔にしかならない支援する側の自己満足の極みのようなものもありましたが・・・
最初のうちは、感謝の言葉を口にしていた人たちも、時間が経つにつれて
「中古じゃなくて、新品持ってきてよ」
「色が気に入らないから、違うの持ってきて」
「隣の避難所では、もっと良いものが届いてる」
などのように、「貰うことが当然の権利」のようになっているように思えました。
そして、支援物資が余って廃棄されている避難所もあるのに、物資が足りていない避難所に分けたりしないんですよね。
他にも様々なことがありましたが、被災地支援で感じたことは
継続的な支援は、自立を最も阻害する
ということです。
もちろん、「貰うことが当然の権利」のように思わず、一貫して立派な人もいました。
そのような人たちは、感謝を示しながらも「自立が必要だから、支援はもういいよ。ただ遊びに来て」と言ってくれました。
でも、そのような人たちは、非常に少数でしたね。
この「自立が阻害される」というのは、与えられる側だけの問題ではなく、与える側の問題でもあります。
よく使われる話として
魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるべき
というものがあります。
魚を与えても食べてしまえば終わりですから、また魚を欲しがるようになるのは当然です。
しかし魚の釣り方を教えれば、自分で自活できるようになるわけです。
つまり
与えることよりも、自立の仕方を教える方が重要
ということですね。
このことと同じように、子どもにお金を与えたとしても使ってなくなってしまうだけかもしれません。
それよりもお金の稼ぎ方を教えたり、稼ぎ方を学ぶチャンスを与える方が、自立して生きていくためには必要だということです。
「子どもに資産を残すべきではない」という意見は、このような考え方に基づいます。
資産を残すのではなく、稼ぐ力を身につけさせるべき
ということですね。
仕事の本質

お金を自分で稼げるようになることは、確かにとても重要なことです。
私たちは資本主義社会に生きている以上、お金が必要不可欠なものであることは間違いありません。
そしてお金を得るために、仕事をすることになります。
しかし、そこに大きな落とし穴があります。
仕事は確かにお金を得るための手段ですが、決してそれだけではありません。
というよりは、本質的に言えばお金は仕事の目的ではなく「仕事をした結果」です。
そもそも仕事というのは、社会を成立させるために必要な役割をみんなで分担して行っているものです。
つまり
仕事の本質は、社会貢献
と言えるわけです。
世の中に対して必要なことを行う事こそが、仕事の本質なのです。
そしてその結果として、お金という報酬を得るという事です。
ですから、お金のための仕事をしているのであれば
お金の奴隷
になってしまっていることと、何も変わりません。
「稼ぐ力を身につける」というのは大切なことではありますが、裏を返せばお金第一主義でお金の奴隷になっているとも言えるわけです。
本質的な仕事の意味を理解しているとは言い難いのではないでしょうか。
「稼げる」条件

では、「稼ぐ力」とはどのような力でしょうか。
稼ぐことが出来るというのは
世の中のニーズを満たすことが出来る
という事です。
「需要のあるものに対して、供給を行う」とも言えます。
需要が無いものに対して供給を行っても、当然ながらお金にはなりません。
しかし需要(世の中のニーズ)というのは、必ずしも本質的に社会にとって必要なものではありません。
需要とは、大きな枠組みで言えば世論であり、大衆の要求です。
大衆が決めているものだという事です。
そして、その大衆の判断と言うのは、ほとんどの場合において本質的に正しくはありません。
大衆は思考停止の集団でしかありませんからね。
例えば、医療なんかは良い例です。
どちらの医者が一般的にニーズがあるでしょうか?
風邪をひいて病院を受診したときに
1.「ただの風邪だから、家で寝てれば良い」と言って、薬も出さず何もせず診療を終わらせる医者
2.「大変でしたね」と解熱剤や咳止めなど色々な薬を出したり、検査をしてくれる医者
ほとんどの人は
1.感じの悪いヤブ医者
2.優しい良い医者
というような評価をします。
2の医者の方がニーズがあるという事です。
しかし、医療として正しいことをしているのは、1の医者です。
2の医者は、医者としてクズです。

大衆は、科学的に間違った方を評価して求めるのです。
そして「稼げる」医者は、2の医者です。
つまり、この資本主義社会において稼ぐためには、本質的に間違っていても大衆のニーズに合わせることが必須なのです。
ある意味、ただの迎合でもあるわけです。
信念を貫くためには

このように、「稼げる」ということは、必ずしも「本質的に社会貢献が出来ることを行う」ということと一致しません。
このようなことにすら気づかない人の方が圧倒的に多いのですが、信念やプライドを持って仕事をしている人は、このジレンマに苦しむことになりかねません。
そのような人にとっては、信念やプライドを貫くためには
稼ぐことを諦めて、仕事をする
という選択肢しかありません。
なかなか厳しい選択ですよね。
独り身ならまだしも、家族を養わなくてはならないとなると、現実的に厳しい場合がほとんどです。
しかし仮に資産があり、仕事で稼がなくても資産収入で生活できるのであればどうでしょうか。
・自分が正しいことだと思える仕事
・自分の信念を貫ける仕事
・本当の意味で社会に貢献できると感じる仕事
などを続けることも可能になります。
経済的自由を達成した状態であれば、お金に捉われることが無くなるのです。
お金の奴隷からの脱却です。
「稼ぐ力が必要」と言うのは、お金に捉われた状態なのです。
子どもに資産を残すことが出来れば、子どもは早い段階でお金の奴隷を脱却することが出来るかもしれません。
そうすれば、自分が正しいと思う道を進みやすくなります。
結果がどうなるかわかりませんが、それは子どもの人生を豊かにすることや本当の意味での社会貢献に繋がる可能性が十分にあるのです。
まとめ

・「稼ぐ力」とは、大衆のニーズを満たす力
・大衆のニーズは、本質的に正しくないことがほとんど
・資産があれば、信念を貫きやすくなる
とは言え、資産を受け継いだ子どもが信念を貫くのではなく、その資産のせいで努力しないボンクラになってしまう可能性もあります。
そうならないためには、教育が鍵になるのは言うまでもありません。
今の資本主義社会というのは、稼げることが最重要になってしまっています。
そのルールに対して疑問を持つ人もいるのではないでしょうか。
しかし、そこから脱却するには、残念ながらやはりお金が必要なのです。
ですから、どこかの世代で資本主義のルールで勝って資産を築くことが、その後の世代がくだらないルールから脱却する唯一の方法とも言えるのです。
矛盾と言えば、矛盾ですよね。
最終的には、子どもに資産を残すのかは個人の考え方次第になりますね。
但し、資産を残すとしても親が亡くなった時に遺産として残すのは、揉め事にもなりかねませんし、そのお金をあてにしてしまって努力しないコースに行きやすいと思われます。
ですから、子どもの頃からお金を与えつつ、親がサポートしながら自分で資産運用させるなどが好ましいのではないでしょうか。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。