教育・子育て

発達障害は病気ではなく『個性』

発達障害は病気ではなく個性

今回は、「発達障害」についてです。

 

結論としては

発達障害は病気ではなく個性や特性で、才能とも言える

となります。

 

この記事は

「発達障害と診断された。自分は病気なんだ・・・」

「子どもが発達障害と言われ、将来が心配・・・」

「発達障害っぽい気がするけど、確かめるのが怖い・・・」

というように不安になっている人たちや、その周りの人たちに向けたものです。

 

発達障害だからと言って、全く悲観する必要はありません。

発達障害と呼ばれますが決して障害ではありませんし、ましてや病気などでもありません。

本質的には個性や特性であり、「特殊な才能」と言っても過言ではないくらいです。

 

ただし世の中全体で見れば、それを認識できていない人がまだまだ多いのも事実です。

偏見がまだまだ多いのです。

ですから、本人だけでなく周りの人たちも発達障害について正しい理解をすることは、発達障害の人たちを偏見から守るのには重要です。

少しでも多くの人が正しい知見を持つことで、発達障害の人たちが生きやすく、才能を存分に発揮できる世の中になってほしいですね。

 

では、発達障害について説明していきます。

 

発達障害とは

代表的な発達障害としては

・ASD(アスペルガー症候群)

・ADHD(注意欠如・多動性障害)

・LD(学習障害)

などがあります。

 

発達障害の原因は、生まれつきの脳機能の発達に偏りによるもので遺伝が大きく関与していると言われていますが、完全には解明されていません。

重要なのは

生まれながらに持っているもの

ということで、本人はもちろんのこと、親の責任でもありません。

というよりは、全く悪いことではないので、責任というもの自体が存在しません。

 

ASD・ADHD・LDそれぞれに特徴はありますが、全体として共通して言えることは

能力に偏りがある

ということです。

 

例えば、以下が発達障害がない人の能力レーダーだとします。

一般的な能力

 

それに対して、発達障害の人たちの能力レーダーは次のようなイメージです。

ADHDの能力

 

凹凸が激しいですよね。

発達障害の人たちは一般的な平均的な人たちと比べて、決して劣っているわけではありません。

偏りがあるだけなのです。

 

つまり、発達障害の人たちは

他の人より不得手な分野がある反面、突出して得意な部分がある

という特徴があるわけです。

 

基本的には、完全にADHD、完全にアスペルガーという感じではなく

・ADHD多めのアスペルガーとの混合

・アスペルガー多めのADHDとLDとの混合

のように、色々と混ざっていることが、ほとんどです。

 

発達障害は病気でも障害でもない

能力に偏りがある発達障害は、「個性が強い」と言えます。

にも拘らず、「障害」という言葉が使われています。

そもそも、本来的にはこの「障害」という言葉自体が不適切なのです。

 

「発達障害」という言葉は、せいぜい最近100~150年位の間に使われ始めたものです。

それよりも昔は、発達障害という概念さえありませんでした。

 

歴史上の偉人にも、発達障害だったのではないかと言われている人は、多数います。

ADHDだったんじゃないかと言われている偉人

ダ・ヴィンチ

モーツァルト

織田信長

 

アスペルガーだったんじゃないかと言われている偉人

エジソン

アインシュタイン

 

LDだったんじゃないかと言われている偉人
チャールズ・ダーウィン

などなど、他にも多数います。

しかし彼らの生きた時代には発達障害という概念がなかったため、記録などから発達障害だったのではないかと考えられているのです。

 

「発達障害」という言葉が使われ始めた100~150年前というのは、産業革命以降に産業化社会になった時代です。

産業化社会においては、大量生産・大量消費を原動力に経済成長が進み、物質的な豊かさを追い求めるようになっていきました。

そして大量生産をするためには、例えば工場などで同じことをできる労働力が大量に必要だったのです。

 

つまり

同じように会社や工場などで働ける人間が大量に必要な時代だった

ということです。

同質化した集団を社会は求めていたわけですね。

 

そして同質化した集団をせっせと作るのは、言わずもがな「学校」です。

産業化社会構図

 

学校教育で脱個性・同質化を行い、会社に労働力として提供します。

そして一様な大量の労働力を会社が使うことで、社会全体で物質的な豊かさを手に入れるのです。

要するに、社会全体として同じような歯車を大量に作って使うわけです。

よくできた仕組みですよね。

 

しかし、この中で「異物」となるのが、同質化・脱個性・集団行動が苦手な人たちです。

産業化社会のシステムに、うまく乗れないのです。

そのような人たちを、同質化・脱個性・集団行動が得意な人たちは、「異常」として捉えました。

その結果、「発達障害」という、あたかも病気のような扱いを受けることになってしまったというわけです。

 

しかし実際には、発達障害と言われて異物として扱われた人たちは、産業化社会というシステムに向いていないというだけです。

個性を社会が認めなかっただけなのです。

というよりは、その時の社会システムがたまたま発達障害の人たちに向いていなかっただけです。

当然個人が悪いわけでもなく、障害でも異常でも病気でもありません。

 

ただ、産業化社会であれば、そのようなシステムになるのも仕方ない部分があるかもしれません。

その時代にマッチした方法とも言えますからね。

 

しかし、IT革命を経て産業化社会は終わり、情報化社会になりました。

これからは、個性が重要な時代です。

それにも拘らず、「発達障害」として未だに病気のように扱っているのは、思考停止にもほどがあります。

同調圧力が蔓延しきっている影響です。

 

発達障害は才能

発達障害と言われる人たちは不得意なことは多いですが、自分が好きなことや得意なことに対しては、とても突き抜けた力を発揮することが多いです。

特別な才能があると言えます。

 

これは、本来は産業化社会においても重宝されるべき才能だったのですが、社会のシステムが弾いてしまっていたのです。

受け入れる器がなかったとも言えるのかもしれません。

 

しかし、情報化社会になって、社会自体がそのような突き抜けた才能を重宝する時代になりました。

これからの時代は、誰もが出来ることを同じようにできることよりも、自分にしかできないことをできる方が価値があります。

むしろ、そのようなことが必要となってきています。

自分で価値を生み出せる人こそが、これからの時代は価値があるのです。

 

そのような意味では、発達障害の人は他の人に比べて、アドバンテージがあると言えます。

生まれながらにして、才能が溢れてるわけです。

 

まとめ

・発達障害は、能力の偏りがあるだけ

・発達障害は病気ではなく、才能や個性

・これからの時代には、発達障害は価値を生み出すアドバンテージになる

発達障害で苦しんでいる人は、自分を受け入れてくれない場所からさっさと脱出して、自分を理解してくれる場所に行きましょう。

必ず、自分の個性や才能を生かせる場所があるはずです。

 

子どもが発達障害で心配している親御さんは、まず子どもの個性を全面的に受け入れてあげてください。

できないこともありますが、その分素晴らしい個性を持っているのです。

何よりも大切なのは、周りの人間がそのことを受け入れてあげることです。

 

大人にしても子供にしても、発達障害と言われる人は

・好きだったり得意な分野で勝負する

・苦手な分野で勝負しない

ということを徹底するべきです。

 

得意な分野を探して、そこで戦えば、誰にも負けない価値を生み出すことが出来るのです。

それなのに、なぜか苦手な分野で戦い続けて苦しんでいる人が多くいます。

また、親などの周りの人も苦手を克服させることにばかりに執着してしまい、得意や好きを軽視してしまいがちです。

 

これほどもったいないことはありません。

周りと同じでなくても良いのです。

周りと同じでないことは大切にするべき個性なのです。

本人の個性を尊重する所から、始めましょう。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。