今回は、「価値を生み出せる人と生み出せない人は何が違うのか」についてです。
結論としては
・価値を生み出せる人は、自分のルールに従っている
・価値を生み出せない人は、周りの常識に従っている
・常識を捨てることで、価値を生み出せるようになる
となります。
世の中には、「自分で価値を生み出せる人」と「自分で価値を生み出せない人」がいます。
「自分で価値を生み出す」というと、「自分で稼ぐ」ということと同義に扱う人もいますが、価値を生み出すということは稼ぐということに限ったことではありません。
・自分固有の価値観を持つ
・自分固有の価値観に従って行動する
・それによって他者や社会に影響を与える
ということなども、価値を生み出していることに他なりません。
言ってみれば、自分で自分の人生の舵取りができて、自分なりの生き方ができるかどうかです。
そのような意味でも、「自分で価値を生み出せる人」と「自分で価値を生み出せない人」の間には、決定的な差が存在します。
それでは、その両者の差について、説明していきます。
決定的な違い

「自分で価値を生み出せる人」と「自分で価値を生み出せない人」の決定的な差は
従っているものが違う
ということです。
自分で価値を生み出せる人は
自分のやりたいことや信念など、自分のルールに従っている
自分で価値を生み出せない人は
集団行動など、周りとの同調に従っている
と言えます。
自分で価値を生み出せる人は、周りがどう考えているか、周りが自分のことをどう思っているかはまるで関係ありません。
自分が従うべきものは、自分の信念や自分固有のルールだけです。
自分の信念やルールが不変というわけではないでしょうが、他人に流されて変わるようなことはありません。
あくまでも軸は、自分です。
当然、批判なども増えるでしょうが、それでも自分を貫くことを優先するのです。
反対に、自分で価値を生み出せない人は、周りがどう考えているかがルールになります。
自分の人生のルールを、自分ではない他人に依存させてしまっているわけです。
波風は立ちにくいでしょうが、自分の人生を自分で舵取りしているとは言い難いですね。
言ってみれば、その他大勢の中の一人になるということです。
売っているものの違い

価値を生み出せるかどうかをビジネスや仕事に落とし込んで考えてみると、価値を生み出せる人と生み出せない人では、売っているものが大きく異なってきます。
自分で価値を生み出せる人は
知識・経験・発想・思想など、自分の中身を売っている
自分で価値を生み出せない人は
自分の時間を売っている
となります。
自分で価値を生み出せる人は、自分のルールや信念に従って得た知識や経験や思想・発想などの、自分の中身を売ることが出来ます。
それらは、その人しか持っていない唯一無二のものですから、非常に高い付加価値があります。
しかし自分で価値を生み出せない人は、そのようなものを持っていませんから、自分の時間を売ることでしかお金を作ることはできません。
自分の時間を売るということは、基本的には単純労働です。
自分でなくても出来ることですから、いくらでも代わりはいます。
One of them にしかなれないわけです。
付加価値はありませんよね。
しかも今後AIの時代になりますから、単純作業は奪われていきます。
One of them の人たちは、必要なくなっていくのです。
自分のルールに従えない理由

世の中には、少数の「自分で価値を生み出せる人」と、多数の「自分で価値を生み出せない人」がいます。
ではなぜ多くの人が、自分のルールに従えず自分で価値を生み出せなくなってしまうのでしょうか。
様々な原因はありますが、最も大きな原因として「学校教育」があります。

学校教育では、未だに「同質化」が行われています。
周りに同調できて、集団行動をできる人間を量産しているのです。
これは、産業社会のように「大量生産・大量消費」をして、物質的豊かさを追い求めていた時代においては有効な戦略でした。
しかし、時代は変わりました。
これからは、自分で価値を生み出せる人が重宝される時代です。
にも拘らず、学校では自分で価値を生み出せなくなるような教育を未だにしているのです。
その結果が、新型コロナ騒ぎでも顕著に見られた
・思考停止
・同調圧力
を生み出しているわけです。
自分の軸がない人だらけの世の中なわけです。
そしてそのような人たちが、さらに子どもたちを量産型に仕上げていくのです。
ただの害悪です。
自分のルールに従うためには

自分で価値を生み出せるようになるためには、自分のルールに従う必要があります。
自分のルールに従うためには
・脱思考停止
・同調圧力を無視する
ということが必須です。
そのためには
常識を捨てる
ということが重要です。
まず、多くの人が持っている「常識」というのは、何なのかをよく考えてみるべきです。
常識のほとんどは、親や学校などから与えられたものです。
つまり、上の世代から与えられたものです。
しかし、常識というのは時代や場所によっても変化します。
決して普遍的なものではありません。
とても、あやふやなものなのです。
時代に合っていない常識もたくさんありますし、正しいとは言い難いものもたくさんあります。
はっきり言ってしまえば、世の中の常識なんて言うものは、ほとんどが無意味なものなのです。
さらには、メディアなどが意図的に大衆扇動によって作り上げた常識も存在します。
利権のための洗脳が、常識を作るわけです。
コロナ茶番を見れば、よくわかりますね。
要するに「常識」というものは、実体のないただの虚像のようなものなのです。
それに対して、自分の考えに従ったルールは、自分にとって非常に意味のあるものです。
やりたいことや信念に基づいているのですから、自分の軸そのものとも言えます。
決してあやふやなものではありません。
多くの人は、自分のルールが周りの常識と違うと、自分のルールを否定してしまいます。
それが間違っているのです。
まず疑うべきは、周りの常識です。
もちろん、しっかりと考えて検証する必要はありますが、その結果自分のルールが正しいと感じれば、それを否定する理由はどこにもありません。
確実に言えるのは、「常識=普遍的に正しい」という感覚を捨てるべきということです。
これは、教育によって刷り込まれたものなのです。
まずは、それを理解して、マインドブロックを外すように意識してみてください。
まとめ

・自分で価値を生み出せる人は、自分のルールに従う
・自分で価値を生み出せない人は、周りの常識に従う
・自分のルールに従えないのは、教育によって刷り込まれた常識のせい
・常識は、普遍的に正しいものではないことを理解しなくてはならない
自分で考えて、自分で判断する。
当たり前のことなのに、それが出来ていない大人ばかりです。
そして、そのような大人が教育した子供たちがどうなるかは、明白ですよね。
脱思考停止・脱同調圧力こそが、自分の人生や未来の世代を明るく照らすことの出来るのではないでしょうか。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。