社会

腹を切れなくなった日本人

腹を切れなくなった日本人

今回は、「古来からの日本人の精神」についてです。

 

結論は

・最近の日本人は、腹を切れなくなっている

・「自分さえ良ければいい」が蔓延している

です。

 

もちろん「腹を切る」と言っても、本当に腹を掻っ捌く切腹のことを言っているわけではありません。

今の時代にそんなことをしたらとんでもないことですし、介錯でもしようものなら犯罪になってしまいます。

 

ここで言いたいのは、物理的に実際に腹を切ることではなく

本来、日本人が持つ「腹を切る」という精神が無くなってしまっている

ということです。

そしてそれに代わって、「自分さえ、今さえ良ければいい」という精神になってしまっています。

メディアや政治家などは言うまでもありませんが、国民全体的にそのような方向に流れていってしまっているのです。

 

「腹を切る」ということの意味

そもそも「切腹」というのは、主に室町時代や江戸時代の武士が行った、日本独自の自害の方法です。

武士にだけ許される名誉ある死に方であり、武士道という日本人の美学がよく表れているものと言えます。

 

見事な切腹をやり遂げると、「敵ながらあっぱれ」と敵であっても褒め称えることも少なくなかったようです。

「敵ながらあっぱれ」というのは、素晴らしい感性ですよね。

敵だとしても、人間として尊敬できる相手は褒め称えるのですから。

現代でもスポーツなどで相手をたたえると称賛されますが、それが殺し合いをした相手に向けられているわけですからね。

自分の正当化と相手への侮辱ばかりが行われている世界情勢からは、考えられないようなレベルの高い精神性です。

 

ではなぜ切腹をするかというと、色々な要素はありますが最終的には

自分以外の誰かを守るため

ということに集約されます。

 

・君主を守る

・自国の領民を守る

・家族や子孫を守る

など守る対象は各々でしょうが、名誉や誇りを守り、自分以外の誰かのその先を守るのです。

 

・自分が責任をかぶることで、国にとって必要な君主を守る

・トップである君主が自分の首を差し出すことで、領民の安全を守る

・立派に腹を切ることで、家族や子孫の名誉や誇りを守る

などです。

 

実はこのことは、武士だけに限ったことではありません。

日本人の先祖である1万年以上も前の縄文人も、同じような精神を持っていたのがわかっています。

縄文人の寿命は26歳程度だったと言われていますが、自分たちが家を作るために伐採した木の代わりに、植林を行っていたのです。

植林をしても、木材として使えるようになるまでは数十年かかります。

自分の生きている間には使えないのはもちろんのこと、子どもや孫の代ですら使えない可能性があります。

つまり縄文人は、自分たちが使った分は植林をして、まだ見ぬ未来の世代が困ることが無いようにしていたのです。

このように植林をする文化を古代から持っていたのは、日本人だけです。

 

つまり、日本人は

自分以外の誰かの未来のため

という精神を元来持っていて、そのためには自らを犠牲にすることさえ厭わなかったわけです。

 

腹を切れなくなった日本人

利他の精神という非常に高い精神性を持っていた日本人ですが、その高い精神性がどんどん失われているようです。

 

その最も大きい理由は、大東亜戦争に負けGHQに占領された間に、日本の教育が作りかえられてしまったことです。

「日本は欧米に比べて文明も遅れていて、戦争では多くの国を侵略して世界中に迷惑をかけた」というような教育を受けさせられ、洗脳されているわけです。

 

そして近年では、グローバル化の波が押し寄せ

・自分らしく

・多様性

・個人が大切

などの考え方を押し付けられています。

これらのことは、決して悪いことではありません。

むしろ、人生を充実させるためには大切なことです。

 

しかし、これらばかりを誰もが主張していたら、世の中は成り立ちません。

というよりは、日本が築いてきた文化や社会は、そのようなものではなかったはずです。

自分のために他人から奪う

という欧米人の発想とは違い、日本人は利他・自己犠牲の精神があります。

 

社会全体のことや未来の世代のことを考えて行動するのが前提としてあり、その上で多様性や自分らしさや個人主義が存在できるのです。

つまり、日本人の根底には

腹を切る覚悟を持つ

という精神が宿っていたはずなのです。

 

しかし残念ながら、コロナ茶番など様々な社会の茶番を見ても

今だけ、金だけ、自分だけ

という人ばかりになってきています。

腹を切れない日本人が増殖し続けているのです。

 

今の日本のように、高齢者のために子どもたちを犠牲にするのが当たり前の社会など、異常の極みです。

子どもたちのためならば、高齢者を含めた大人たちは自ら腹を切るべきなのです。

 

まとめ

まとめ

・日本人は元来、利他・自己犠牲の精神があり、それを具現化したのが切腹

・今の日本人は腹を切れなくなって、「自分さえ良ければ良い」になっている

 

今の日本は、どんどん民度が下がってしまっています。

 

「死なないために生きている」という歪んだ死生観を持つ人が増えてしまっていますよね。

コロナ騒ぎなどを見ても、明らかです。

本来は、「どう生きるか」が大切なはずです。

そして、「どう生きるか」を突き詰めていくと、「どう死ぬか」が見えてきます。

 

それを子供の頃から教育をして、自然と身についていたのが、これまでの日本人だったのではないでしょうか。

ですから、まず教育を変えなくてはなりません。

しかし学校教育はなかなか変わりませんから、今の親世代が必死に学んで子どもたちに伝えていくのが一番です。

ですから、今の労働世代である私たちが子どもたちに正しい教育を与え、高齢者になってから犠牲になれば良いのです。

それを見た子供や孫の世代も、しっかり学んでくれるはずです。

 

日本はまだ立ち上がれるはずです。

日本人は、元寇にしても明治維新にしても逆境をはねのけてきましたし、太平洋戦争で焼け野原になっても立ち上がって復興しました。

日本人には、底力があるはずです。

 

現に、今でも戦っている人もたくさんいます。

このコロナ茶番の同調圧力や言論統制などに対して、立ち向かっている人も決して少なくないのです。

 

そのためには、腹を切る覚悟を持つことが必須です。

というよりは、腹を切る覚悟さえ持てれば、どんなことでも解決して乗り越えられるはずです。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。