社会

「反ワクチン・反自粛」という言葉は異常

「反ワクチン・反自粛」という言葉は異常

今回は、「反ワクチン・反自粛」などの言葉の異常さについてです。

 

新型コロナ祭りが続く世の中では

・反自粛

・反ワクチン

・ノーマスク

などの言葉が、当たり前のように使われるようになりましたね。

明らかに異常事態です。

 

そもそも通常の状態は何でしょうか。

「反自粛」「反ワクチン」「ノーマスク」などの言葉は

・反自粛 → 自粛することが通常

・反ワクチン → ワクチンを打つことが通常

・ノーマスク → マスクをすることが通常

という意味をはらんでいます。

 

しかし本来は

・自粛などせず、普通に生活するのが当たり前の通常

・ワクチンは、必要があれば打つのが通常

・マスクは、症状があるときに着用を考えるのが通常

です。

 

自粛をすること・ワクチンを打つこと・マスクをすることは、別に当たり前のことでも何でもありません。

当たり前でないことが、当たり前なのです。

 

しかし、現在はその当たり前が壊されて、意味不明な当たり前が蔓延している状態です。

 

基本は自由

自由

自粛やマスクやワクチンは、当たり前ではないですが、自由ではあります。

 

自粛する人・マスクをする人・ワクチンを打つ人などは、個人の自由でやっているわけですから、それは認められるわけです。

好きにすればいいわけです。

 

しかし、当たり前のように逆も然りです。

・自粛をしない自由

・マスクをしない自由

・ワクチンを打たない自由

あるに決まっています。

 

もしも、このような自由がなければ、それはもはや民主国家として成り立ちません。

当然のことなのですが、そんなこともわからない思考停止人間が蔓延してしまっているのです。

 

自由を縛れるもの

鎖

ただし、誰もが全てにおいて自由なわけではありません。

誰もかれもが、何でも好きなことをやっていたら、社会は成立しなくなってしまいます。

 

だからこそ、法が存在するのです。

 

法律は、法治国家において、人々の行動などに制限をかける唯一のものです。

法によって、一定の制限を設けることで、社会が成り立つようにするわけですね。

逆に言えば、法を破らない限り、法治国家において自由は担保されます。

当然ながら、日本は法治国家です。

 

しかし、法を守ればすべてが許されるかと言えば、そうでもありません。

そして、法がすべて正しいわけでもありません。

 

ですから、法を妄信することは危険ですし、あらゆることに対して様々な面から検証してアップデートしていく必要があるわけです。

そこで最も重要になるのが、「国民感情」などではなく、「科学的根拠」です。

人の行動の制限という、社会において最も重要なことの一つを規定するわけですから、感情論で決めていいわけがありません。

 

勘違いしている人が多くて驚くのですが、感情論は全く正しい保証などありません。

むしろ、多くの場合において、正しくないと言えます。

 

人は、自分の利益や不安などによって、感情が左右されます。

合理的で冷静な判断をできていないことばかりです。

感情的に判断をして、正しい判断をできる人なんて、ほとんどいません。

人は非合理的であることが、前提でなくてはなりません。

 

ですから、客観的に評価できる科学が必要なのです。

科学は

信じも疑いもしない。ただ試すだけ。

というのが基本です。

 

科学によって示された根拠を、どのように社会に反映させて取り入れるのかこそが、考えるべき課題なわけです。

 

しかし今の日本の社会では、「国民感情」なるものが最重要なものとして扱われます。

大抵の場合、私利私欲やヒステリックな感情論に支配された「国民感情」という、何の正当性もないものがルールを決めているわけです。

これは、民主政治などではありません。

大衆政治・愚民政治というやつです。

 

現在の異常さ

新型コロナ茶番で、社会が異常な状態になっています。

正確に言えば、もともと異常だったのが、新型コロナ茶番によってわかりやすく表に出てきただけでしょう。

 

・反自粛

・反ワクチン

・ノーマスク

これらの言葉が、あたかも社会的に害であるかのように使われている時点で、現在が異常なのは明白です。

自由を自ら放棄しようとしているわけです。

 

社会全体の危機なんだから、仕方ないだろ!!

このように言う人が多いことも、異常な証拠です。

 

「人類史上最大の危機」

「世界的危機」

などと言ってきたりするわけです。

ちょっと、何言ってるかわかんないですね。

そのようなことを言う連中は、自分の馬鹿さをアピールしているようなものです。

 

確かに法に定められていなくても、本当に人類の危機であれば、やらなくてはならないことがあるでしょう。

では、それが本当に危機なのかを判断する基準が何かといえば、当然ながら「科学的根拠」です。

世の中で「陰謀論」と言われるものは、基本的には科学的根拠がないからこそ、陰謀論なのです。

科学的根拠があるものは、陰謀論ではありません。

 

現在のコロナ騒ぎはどうでしょうか?

「自粛しろ!!」

「マスクを付けろ!!」

「ワクチンを打て!!」

このように言う人こそが、科学的根拠を無視しているわけです。

(もしくは科学的根拠を提示できない。)

 

科学的根拠がないことを他人に押し付ければ、それは「陰謀論」になります。

「自粛しない」

「マスクしない」

「ワクチンを打たない」

このような人たちを、陰謀論者のように扱う人が多いですが、逆です。

 

科学的根拠がないのに、押し付けている「自粛信者」「マスク信者」「ワクチン信者」が、陰謀論者でしょう。

もしくは、思考停止のアホかです。

 

ただしワクチンに関しては、リスクが徐々にわかってきていますが、断定するにはまだ根拠が乏しいですよね。

ですから、どちらの立場からしても科学的根拠を明確に提示できない状態です。

そのような時は、自由にするのも一つの選択肢です。

思想は自由ですしね。

 

ただし、本来医療行為というのは、十分な安全性を担保出来てから用いるのが原則です。

現在のワクチンは、壮大な人体実験であることを忘れてはなりません。

 

まとめ

まとめ

・自由を縛れるのは、法のみ

・基本は自由

・根拠にするべきものは、感情ではなく科学的根拠が必要

・現在は完全に異常

 

現在が異常なのは、物事が感情論優先で動いているからです。

科学的根拠が置いてけぼりです。

 

世の中には、このように「科学が社会に負ける」ということが、しょっちゅう起こります。

利権のために科学を無視するメディアや政治家が当然悪いのですが、同じように感情論を振りかざす国民自身も加害者です。

 

「国民感情」「民意」が全てに優先されるべきという風潮がありますが、愚民政治を作り出すだけです。

 

大人は勝手にすればいいです。

自己責任ですし、自業自得です。

 

しかし、子どもたちには何の罪もありません。

子どもは大人の馬鹿さの被害を受ける被害者です。

子どもを守るために、まともな思考を持っている人は、頑張りましょう。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。