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思考するとは

思考するとは

今回は、「思考する」とはどういうことなのかについてです。

 

結論としては

・思考することの根元は疑問を持つこと

・疑問に対して知識を得て自分なりの結論を導き出すことが思考すること

です。

 

最近、「思考停止」という言葉がSNSをはじめとしてよく使われます。

実際に新型コロナ茶番において、世の中は思考停止人間が大多数だということが明確になりました。

思考せずに、ただ与えられた情報を受け入れている人が、ほとんどなのです。

 

そのような人たちは、「自分たちはちゃんと考えている」と思っているでしょう。

確かに、人間は常に思考しています。

情報を受け入れる時にも脳は活動していますから、思考していると言えます。

 

しかしそれは、あくまでも「受動的な思考」のことです。

ここで言う思考とは、「能動的な思考」のことを指します。

 

受動的な思考は、脳は働いていますが、自発的に脳を働かせて考えているわけではありません。

インプットしているだけです。

 

それに対して能動的な思考は、自発的に脳を働かせていて自分の求めるゴールに向かって進んでいる状態と言えます。

自分なりのアウトプットをしようとしているということです。

受動的な思考と能動的な思考の大きな違いは、ゴールやアウトプットがあるかないかになります。

 

それでは、この能動的な思考について説明していきます。

 

能動的思考の根元は疑問を持つこと

能動的な思考をするために絶対に必要になることが、「疑問を持つこと」です。

与えられた情報に対して疑問を持たなければ、その情報をインプットするだけの受動的な思考で終わります。

・それは本当なのか

・なぜそうなるのか

・他に考え方は無いのか

などです。

子どもの言葉で言ってみれば、「何で?」です。

 

子どもは何かにつけて「何で?」ですよね。

もちろん知識が足りないというのもありますが、子どもは全てに疑問を持っています。

それに対して大人は、「何で?」「なぜ?」が圧倒的に少ないのです。

多くの人が、ほぼゼロといってもいいかもしれません。

テレビから垂れ流される情報などを何の疑問も持たずに、ただ受け入れているだけです。

大人は、疑問の塊だった子どもの頃から時間の経過とともに、疑問を持つことを放棄してきているわけです。

つまり、能動的な思考を捨ててきているのです。

大人は子どもの劣化版です。

 

この原因としては、学校教育をはじめとした社会の仕組みによるところが大きいです。

とにかく詰め込み式の勉強に終始し、能動的な思考ではなく受動的な思考のインプットをすることに優れた人を評価するシステムになっています。

そもそも学校は、同質化した兵隊を大量に生産するための機関です。

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要するに、疑問の塊で能動的な思考が当たり前の子どもたちから、疑問を奪って受動的な思考のみをするように劣化させていくのが今の社会システムだということです。

 

全てを疑う

では、思考停止にされてしまった大人たちが能動的な思考を取り戻すことは不可能かといえば、そんなことはありません。

全ての人がとは言いませんが、多くの人は能動的な思考を取り戻すことが出来ると思います。

子どもの時には出来ていたわけですからね。

但し、簡単ではありません。

 

能動的な思考を取り戻して、思考停止から脱却するためには

自分の頭の中にある全ての常識や、得られる情報全てを疑う

というところから始める必要があります。

 

受動的な思考に終始し、能動的な思考ができないのは

・テレビなどの情報は正しい

・世の中の常識は正しい

・自分が人生で得てきた知識は正しい

という固定観念に他なりません。

言わば、色眼鏡で全てを見てしまっているからです。

心理学的に言えば、認知バイアスというやつです。

この認知バイアスは、人生をかけて頭に蓄積してきたものの結果です。

認知バイアスがゼロの人などいませんから、完全に無くすことは不可能です。

しかし大人が持っているほとんどの認知バイアスは、能動的思考ではなく受動的思考で獲得したものだと思います。

 

ですから、それをいったんリセットすることで、受動的思考から能動的思考に切り替える準備が出来るというわけです。

相当難しい事ではありますが。

 

自分なりの結論を導き出す

あらゆることを疑うということは、疑問を持つということです。

しかし疑問を持つだけでは、当然ながら能動的思考が出来ているというわけではありません。

本当に大事なのは、疑って疑問を持った後です。

 

疑問を解決して、自分なりの結論を導き出す

というところまで行って、はじめて能動的思考です。

もちろん解決して結論を出すためには、その時点で足りていない知識を得る必要があります。

様々な玉石混交の情報の中から、論理的整合性が成り立つ情報を取捨選択して、取り入れるべき情報を選択していきます。

そして、取り入れた情報を使って自分の頭で考えて、自分なりの結論を導き出すのです。

自分なりの結論を導き出せるまで、徹底的に勉強して知識を習得するわけです。

大人は子どもには勉強させますが、自分は勉強しない人が非常に多いです。

しかし、大人こそ勉強をするべきなのです。

 

そして、ここまで到達してはじめて能動的思考なわけですが、自分が能動的思考で導き出した結論が正しいと過信してはいけません。

認知バイアスを取り除こうと努力しても、認知バイアスはゼロにはできません。

つまりは、どこまで行っても色眼鏡で見た偏った結論になってしまうということです。

 

ですから、他者との議論が重要になります。

言うまでもありませんが、能動的思考で自分なりの結論を導き出した人同士の議論でなくては意味がありません。

結論に達するまでの思考の過程をお互いにぶつけ合うことで、意見というのは昇華されていきます。

受動的思考で情報を鵜呑みにしている人との議論は、何の生産性もありません。

 

そのような人が議論を吹っかけてきたら、スルーした方が良いですね。

時間の無駄です。

 

まとめ

まとめ

・思考停止の人は受動的思考のみで、能動的思考をしていない

・能動的思考の根元は、疑問を持つこと

・知識を得て疑問に対して自分なりの答えを導き出すまでが能動的思考

能動的思考の流れをまとめると

1.あらゆることを疑い、疑問を持つ

2.勉強して知識を得て、考える

3.自分なりの答えを導き出す

となります。

そして導き出した答えを他人との議論で主張するのです。

それによって、より良い考え方になるかもしれません。

 

あらゆるものを疑うと言いましたが、まず疑うべき対象は自分自身です。

自分自身の常識や知識や感性が正しい前提では、能動的に考えてもバイアスが強くかかることになります。

 

ほとんどの人は、受動的思考をしているだけで満足して考えた気になっています。

完全に思考停止社会です。

 

一旦立ち止まって、自分を振り返ってみてはいかがでしょうか。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。